ピアニッシモ


細くて長いその手で指揮なんてされたら、見とれてしまってうまく歌えない。
まるで生きてるみたいに動く右腕。
その右腕は思うがままに歌をあやつる。
やさしい顔、そのくせにきつい性格。
指揮が上手なところも全部が魅力的、だから好き。


教室にふたり。
楽譜を片手に指揮の練習をしてる。
あたしはそれを眺めてる。
家に帰ったって、することがないし、何より、そのきれいな手を見ていたい。
少しでも長くそばにいたい。
「あのさ、そこにいられると困るんだけど」
突然指揮をやめてそう言った。
楽譜を持った左手も指揮をしていた右手も下ろしてしまった。
「なんで? 指揮するときって、もっといっぱいいるじゃん」
「ひとりだから嫌なんだよ」
「あたしはいないと思ってよ、何も喋らないから」
ため息を吐いて、指揮を始めた。
呆れたようにあたしを見て、それはなんかイヤだった。
あたしは何も言わないで、ただきれいに動く手を見ていた。
時々、顔を盗み見た。
「ねぇ、そこピアニッシモだよ」
「喋んないって言ったろ、何喋ってんだよ」
「だってさ、ピアニッシモって弱くでしょ?」
「だから?」
「もっと小さく指揮したほうがいいんじゃないかなぁって」
「あっそ」
ドアの方に歩いたから、帰っちゃうのかと思った。
ドアの横にある棚からラジカセを取り出すだけだった。
音楽をかけて、それに合わせて指揮を始めた。
ラジカセから流れる音楽さえもあやつってるように感じた。
「ピアニッシモだな」
指揮を続けながらあたしにそう言った。
「信じてなかったの?」
その問いかけには答えてくれなかった。
「お前さぁ、すごい指揮見てるよな」
「当たり前じゃん。見ないと叱られるもん、先生と君に」
「みんな見てるけど、お前はすごい集中してる」
「指揮者って全部見えるの?」
「見えるよ、端も奥も全部見える」
「ねぇ、さっきのピアニッシモのときね、あたし見て」
「やだよ」
「いいじゃん、一瞬だよ」
「そんな余裕無いから」
「えー、ちょっとだけだよ」
「だめ」


そんなこと言ったけど、集会当日、一瞬だけあたしを見てくれた。
ピアニッシモのとき、小さく指揮をしながら、少しだけ笑って。